ライター紹介

【新ライター自己紹介】現役ソープ嬢兼カウンセラー「一色ジュンコ」デビュー

皆様、初めまして!
この度NAISHOライターデビューさせて頂きました。
一色ジュンコ(いっしきジュンコ)と申します。
現役ソープ嬢兼、講師、メンタルアドバイザー、カウンセラーとして現在は生計を立てています。
男性からの性相談、風俗嬢ではない一般の女性の性にまつわるあらゆる分野でも日々奮闘しております。
恐ろしいかな、風俗嬢デビューして今年で18年目に突入してしまいました(笑)
その間に出会ったお客様は2万人以上…文字にするとゾッとしますね(笑)
コーチさせて貰った女の子は約300人ほど。
男性側、風俗嬢の女の子。
また、風俗嬢ではない女性。
私が培ったノウハウ、テクニックが皆様のお役に立てればなぁ、と思います!

マスコミ業界からこんにちは


私は若い頃から映画監督を目指し、高校卒業してから知り合いの紹介で、夢だったマスコミ業界で働くことができ、ADとして仕事をこなしていました。
週のうち徹夜が3日は当たり前。
家に帰って布団で寝れた日は数える程しかありませんでした。
家に帰れない日はもちろんお風呂も入れません。
そんな時は給湯室でこっそりと頭を洗っていました(笑)
なんせすっぴん、頭爆発、軽い腋臭は日常茶飯事でした。
激務だけれど、お給料は手取りで12万円あるかないか…。
ロケ準備や撮影の備品購入の立て替えは、私達ADの役目です。
ロケの時はロケ弁などを手配できるため、なんとかご飯の心配はありませんでしたが、スタジオ撮影や通常業務の日のご飯さえままならない生活が続きました。
情報番組のお料理コーナーの担当になれた時は、同期の仲間と残った食材を貰えたので、皆で仲良くキャベツの千切りを食べてしのいだのは今では良い思い出ですねぇ…(笑)。
また、余りの睡眠不足で収録中に寝ながらぶっ倒れたり(まぁそんな時は先輩にビンタされれば解決します)、耐え難い睡魔に負けて
すみません、下痢です。
と堂々と嘘をつき、トイレに駆け込み携帯のタイマーをセットして便座に座りながら仮眠をとったりしてました。
あいつはよく腹を下す、体の弱いヤツだなぁと思われていたでしょうね。
とにかく激務でしたが、夢の為に毎日必死でした。
自分の担当の番組も持てるようになり、少しは順調に進みだした頃、身体と心に少しづつ異変が起き始めました。
気が付いたら、作業の手が動かない。やらなければならない仕事が全く手がつけられない。
とにかくやる気が出ない、疲れているのに眠れない。
感情の起伏がコントロールできない。
気晴らしをするために、空いたオフの時間にパチンコ屋に出入りするようになりました。
こうなったら、もちろん仕事は余計に溜まる一方。
完全なノイローゼでした。
そして、少ない休みはパチンコ屋に入り浸り、お金はどんどん底を尽きます。
私はついに消費者金融に手を出してしまいました。

夢を諦めるという経験から風俗嬢へ

消費者金融に手を出したら、もう後は堕落していく一方でした。
数少ない休みはパチンコ屋に行き、たまに大勝ちするも、負ける。
少ない給料で賄えない生活資金が底を尽き、また追加融資を繰り返す。
そんな中テレビ番組の収録中にパニック発作で倒れてしまい、社長から無期休養宣告を受けました。
「この業界は、こんな激務が当たり前なんや。これぐらいで倒れたりするお前は向いていない。諦めろ。」
事実上のクビです。
私はどうしても映画監督になりたかった。
だけど「好きな事が向いていなかった」という、人生初の挫折を味わいました。
失業保険で数ヶ月食いつなぐも、借金もある身。
ましてや当時は既に精神科にかかっていたため、規則正しい昼職に就く事は困難でした。
私は何の知識も抵抗もなく、風俗デビューする事になります。
初めて働いた風俗はピンサロ。
更に上のお給料を求め店舗型ヘルス、デリヘル。
デリヘル勤めを初めてすぐにNo.1になりました。
しかしあえなくそのデリヘルは潰れてしまい、私は興味のあったソープ嬢に転身しました。
どうせやるなら、とことんプロを極めたい!そんな思いでソープ嬢に転身しました。

右半身麻痺になりまして。


その間、業界あるあるの「イヤイヤ病」が元々の鬱病に拍車をかけてしまい、何度か精神科に入院する羽目に。
そしてプライベートな事で大変ショックな出来事があり、私は自宅マンションから飛び降り自殺を図りました。
意識不明の重体。
今夜は山田、まさにソレ。
親族一同集まり、私の葬儀はどうしようかと真剣に話し合っていたみたいですが、生命力の強い私は、無事生還。
私の目覚めてからの第一声は
あ、死ねなかったんだ
だったのを覚えています。
全身打撲、右半身麻痺、右肘骨折、骨盤骨折。とんでもない後遺症が残りました。
今も右半身麻痺と、骨盤にはチタンブリッジが入ったままです。
(担当の医師と接骨院の先生には今でも大変お世話になっております。)
風俗引退を考えましたが、私は右足を引きずりながらしつこく復帰しました。
リハビリを兼ねてマットのない料亭や様々な風俗にチャレンジしましたが、何故かソープ嬢への未練がハンパなく、私は足を引きずりながらソープ嬢に復帰する事になります。

ハンデだらけの中途半端なソープ嬢から講師へ

私は全身入れ墨が入っていますし、飛び降り事件で手術をしたので傷跡だらけです。
そして右半身は麻痺が残っています。
ソープ嬢としてはかなりのハンデです。
だからこそ、とにかく人の100倍は努力しなければダメだと分かっていたので、日本全国のソープ街を鞄一つで修行を続けました。
有名な先生とも出会えメキメキと腕を上げていった中、とあるお店の社長に
ウチの講師をやりませんか?」と言われたのをきっかけに、その店舗で講師デビューする事に。
私自身はめちゃくちゃ売れっ子な訳ではありませんが、教え子達が何故かみるみる売れっ子になっていく
教え子達との出会いが私を変えてくれたのです。

オンリーワンになろうよ!


現在はお客様のニーズやお店、地域のカラーも多様化しています。
私達がデビューした頃とは、また違う世界になってきています。
時代に沿って柔軟な対応が出来るように、今も現役で仕事を続けています。
私自身は華麗なるランカーには中々入れなかったので、逆に指名の取りにくい女の子の不安や、思考癖、やりがちな失敗パターンが手に取る様に分かるのです。
皆んなが皆んな、人気嬢になれたらいい。
だけど、頑張っても1番になれない子もいる。
1番というのは素直に凄い事だと思います。
けれど1番にこだわりすぎて本来の自分の個性や良さを無くし、仕事が嫌になったりお客様が怖くなったりしては本末転倒です。
某歌のフレーズではありませんが、
No.1にならなくてもいい
元々特別なオンリーワン。
このフレーズを念頭に入れて、女の子をコーチしてきました。
そして講師という立場は、女の子の人生を担いでいる立場です。
私自身は長々と仕事を続けましたが、女の子達には目標達成して引退の花道を華麗に飾れるように手助けしていきたいと考えています。
先日引退した女の子は無事目標達成し、結婚が決まったとの報告があり嬉しい限りです。
そしてもう1人は引退後なんと数か月でクラブのママに抜擢され、今はお店を1軒任されています。
もちろん2人ともNo.1のまま、有終の美を飾って引退しました。
妙な罪悪感や孤独感、疎外感を感じてしまうこの世界ですが、
1人じゃないからね、と、いつも女の子達に寄り添えるような私でいたいと思います。
現在は現役ソープ嬢、講師。
一般の方々向けの恋愛カウンセラー、性活カウンセラーも並行して行っています。
たまに知り合いの探偵業のお手伝いをしたり。
何せ、人に関わりながら生きている毎日です。
何かのお役に立てれば、幸いです^^

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