『お母さん、年末、実家に帰らなければダメですか?』を読んで
今回は、心理カウンセラーである心屋仁之助先生のこの著書を読ませていただきました!
いつもの毒親のお話と絡めて、感想をレポートさせて頂きます!
少しホッとした様な、安心したような気持ちになりました。
人生に起こってしまう、大きな壁や、数々の問題。
そこには『お母さん問題』がある。
要は、人生でうまくいかないことが起こったことの背景には、母親との関係が隠れているかもしれないという事を確信させてくれました。
とても読みやすく分かりやすい文章構成になっているので、自分の中に飲み込みやすかったですし
愛着の問題や大人になった今になっての生き辛さについて、そして母親というものについて、深く考えれる機会にもなり
もし何かに迷っていたりして今しんどいと感じている方にとって、この本はほんの少しでも楽になるかもしれません。
心理カウンセラーの著書を読んだことが無い方にも、ぜひお勧めしたい本です。
帰省したくない!そう思ってしまうのはあなただけじゃない
親から独立し独り暮らしをしている人、結婚し親から巣立っている人にとって、
母子の関係が上手くいってなかったとしたら、実家への帰省の時期は本当に憂鬱な問題です。
私は、クローン人間があればとか、代行業者が行ってくれないかとか、帰省の時期が迫って来るとそんな事ばかり考えてしまいました・・。
でもそれって、裏返してみると
『…それでも帰省しなければ、私は酷い人間だ。駄目な奴なんだ。
大人の癖に、親に対して元気な顔を見せれないなんて、ろくなもんじゃない。』
そういう具合に、罪悪感という気持ちが心を支配してくるからなんですよね。
自分の気持ちより、親に対する罪悪感や、世間の目を気にしてしまう。
世間でいう理想の親孝行や、親を大切にしなければいけないというような、世間からの目を異常に感じ、
その様なものにがんじがらめになっている現代人の辛さは、どんな人も大体似たようなものであることがこの本を通して分かりました。
『親に感謝しなければいけない。親孝行をしなければならない。』
それを無理やり自分に思いこませようとしているから親との関係が苦しいのであって、そんな気持ちを世間の軸から外し、一旦自分軸に戻し、手放してみる事の大切さをとても感じました。
母親って、広く大きく、懐の深い、慈悲深いものだと、世間は認識していて、
それに対して、帰省をNOと突きつける自分の愚かさとは一体何だろうと自分を責めてしまうから、帰省の時期は辛いかもしれないのですが、
母親は、神様でも、マリア様でもなければ、仏様でもありません。ただの人間で、完璧ではありません。
ただの人間の女性ですから、人としての失言もありますし、迷いや間違いも、母親にだってあるのです。
それも含めてお母さん!という事も、自分の気持ち軸で考えることができたら、今までにない位、肩の荷が下りるかもしれませんし、納得できる様になるのかな?と思います。
私が母親の呪縛に気付いた時
私が母親に対して思っていたモヤモヤな気持ちから解放されたのは、その、『母親も完ぺきでは無い』という事に気がついたあたりからです。
やはり子供は、母親が大体の面倒を見ますので、母親が一番近くの頼りになる人として成長していきます。
なので、『母親の言う事を聞いていれば、命に係わる危険な事は回避できる。』というようにインプットされながら、成長していくものです。
しかし、成長して、母親が経験した社会とは別の社会に出た場合、母親の言う通りにしても、上手くいかない時が所々出てきたりします。
その時に、気が付いて考え方や行動を変えられればいいのですが、中々人間は考え方の方向転換をすることが難しい生き物ですし、習慣を変えるのが嫌なので、母親の言う通りにして上手くいかなかった事に戸惑ってしまいます。
私もそのような過程で、自分の中に母親の信念が呪縛の様に渦巻いている事を知りましたし、私も母親の生き写しの様に、母親の信念が刷り込まれている事に気が付きました。
信念とは、長い年月をかけて心に蓄積された思いこみなので、それを払拭するのは、それは相当なエネルギーが必要になって来るのですが、根気よくその信念を検証していきました。
親を何よりも大切にしなければいけなかった時代
私の母親は時代のせいもあって、現代と比べて、何より親を尊い、大切にしなければならないという時代に幼少期を過ごしています。今も勿論そんな気持ちを持つ事は大切ですが、
ここでのポイントは『何より親が大切…』という点です。
親に意見をすることが、許されない時代があったのです。
例えば、父親、母親、子供という家族があったとします。
父親が浮気をしてきても、母親は何も家長である父親に何も言う事が出来ません。
そして、子供も同じです。
今の時代なら『お父さん、何してるの!』という風に、子供であろうと、父親に説教の一つや二つ、出来ます。
しかし、その時代、親に対して、意見をしないと言う事で、家族というチームは上手く回っていたのです。
それを証拠に、当時の離婚率は今に比べて驚く程低いですよね。
親に対して意見をしない方が家族は上手くいくと言う信念がその子供達の中に在り、大人になった時には出来上がってしまいます。
平成の一桁位の時代までは、まだまだ、そんな家庭が多かった様に思います。
なので、私の母親は、親という立場から私の事を色んな面で決定したがりますし、既に子供二人も生んでいる母親になった私に対して、色んな事を注文してきます。
本の中にもありましたが、ファッションについても、母親の経験を軸に意見をしてきます。
なので、母親に対してのモヤモヤがある時は母親に会いたくない気持ちでいっぱいでしたし、ネイルもわざわざオフして、マツエクも出来るだけメンテナンスの寸前で、ほぼマツエクが残って無い様なタイミングで母親に会いに行ってました。
そうでないと、本当に、身だしなみチェックで、会った瞬間から、撃沈させられたからです。
それは本当に辛かったですし、言い返せない自分にも疲れてきたらかです。
昭和の時代に青春を過ごした母親に、ファッションであれこれ意見を言われ、化粧か濃いと言われ、子育てであれこれ言われ、私が赤いワンピースを着ていたら金使いが荒いと言われ、子供にジュースを飲ませていたら体に悪い!母親失格と言われ、マクドナルドに行ったのがバレたらいかにファーストフードが体に悪いかという話を長々聞かさせられます。
母親の信念を、ただただぶつけられる時間が帰省中に埋め尽くされてしまうのです。
しかし、親の持つ感覚も認める事と、私の生きている時代の感覚は、違うものという事の理解が両方同時に出来た時に、母からのあれこれ言われる事を流せる様になりました。
それは、必死に母親に訴えて、理解してもらおうとしないという事に尽きるな、そう思ったのです。
分かってもらえなくても良い、私とお母さんは別の人間だから。
日本人女性という事ではカテゴリーは同じだけど、それ以外は何も一緒じゃなくていい。
そう思えたら、母親の言葉の攻撃に落ち込む事がぐんと少なくなりました。
お母さんの気持ち
この本でとてもよく分かったのが、義務感でお母さんに会いに行っても、義務感で親孝行しても、自分の気持ちが苦しくなるだけということ。
そして、他に優先したい人、他に優先したい用事を押し殺してまでも、しなくてはいけない親孝行なんて何処にもないという事です。
そのことを、いちいち両親に言ってしまえば、また喧嘩になってしまいますので宣言する必要は無いのですが、自分の人生を自分の軸で生きる様になると、心に少し余裕ができます。
その時に母親から言われた悲しい言葉を、母親の視点で思い返すと、その時の母親の怒りや悲しみが少し理解できるのかもしれません。
母親に対して怒ってしまう事、沢山あるとは思いますが、もともと怒りの根底にあるのは、悲しみです。
母親がぶつけてくる暴言も、もとは悲しみなんだなと思います。
それを乗り越えた時、義務感では無く心の底から、母親に会いたくなると私は思います。