エピソード

【初めての心療内科に受診した結果は・・・】セクキャバを引退してからの戦い③

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こんにちは、Rieです。
前回に引き続き、私がセクキャバを引退した後のお話をしていきます。
借金から家族を救ったのに、まだ続く戦い・・・。
本当の戦いはこれからでした。

心療内科への迷い

心療内科に通院しながらセクキャバで働いている女の子達を、私は何人も見てきました。
当時、私に彼女たちの気持ちに歩み寄り、寄り添う余裕なんて無かったので、
『薬なんか飲んでも何も変わらない。心に作用する薬なんてある訳がない。』
本当にそう思っていました。
薬は心には効果はありません。
神経や脳に作用し、苦しく悲鳴をあげている心の手助けをするだけなのです。
しかし、セクキャバを引退した後の崩壊してしまった私の心は『楽になりたい。』その一心でした。
心の治療や、完治を願った訳ではありません。
その時の心をどうか穏やかにしてほしい。
ただそれだけの思いで心療内科に行きました。
混んでいるのが嫌だったので人気のある心療内科ではなく、普通の社会保険が適応される心療内科を選択。
そんなに人気がある訳でもないのに、そこそこ待っている人がいて、中には奇声を出している人、独り言をぶつぶつ言っている人、明らかに季節外れの服を着ている人、待っている人の中に色々な人がいました。
私はもしかしたら場違いなのか?
もしかしたら病気じゃないのでは?
自分がそこに来て良いものなのかと、待っている間、受診することに迷いが出てきました。

初めてのカウンセリング

30分程したら名前を呼ばれ、診察前のカウンセリングルームという所に呼ばれました。
『この紙に記憶のある所からでいいので、生い立ちを書いてください。苦しくなったら休憩しても大丈夫ですよ。』
カウンセラーの先生にそう言われ、紙とボールペンを差し出されました。
生い立ちを書くことが必要なのかと疑いました。
この症状を何とかしてほしくて受診したのに、生まれてからの記憶を順番に書いていくという気の遠くなる作業をしなくてはならないのです。
しかし、もう診察を諦めて帰るというのも雰囲気的に無理な感じでしたし、とりあえずやってみようという気持ちで書き始めました。
記憶があるのはせいぜい3歳くらいから。
順番に書いていきましたが書いているうちに、何だか自分の育ってきた環境や出来事がとても可哀想に思えてきました。
幼少期・10代・20代と割と大変な事だらけだったんだと。
セクキャバで仕事を始めた事を書かなくてはいけない時、書くことを躊躇したのですが、書かなきゃここに来た意味がない事も分かっていたので、しっかり記入。
全てを書き終える時には、とてつもなく疲れていたのです。
『とても大変な思いをされてきたんですね。』
そう言われました。
改めて他人に言われると、私の人生は何かと過酷。
記入している時に辛い事ばかりだったなと書いているのですが、割と書くことが恥ずかしい出来事がたくさん。
幼少期の親の離婚やら実家のゴタゴタやら債務整理やらセクキャバでの勤務など、大きな声で言えない事だらけでした。
『恐らく病気になってしまったのは、1つの原因だけでは無いと思うので、ゆっくり心を納得させてあげながら治療して行かないといけませんね。』
セクキャバで働いた事を含め、複数の色んな過去の問題が重なってこうなってしまってたんだなとその時に知りました。
それもそのはず。
生い立ちを書くだけなのに、私は生まれてからの嫌だった事を順番に書いていたのです。
生きて来た訳ですからいい事だってあったはず。
幸せな時間も勿論ありました。
主人と知り合い結婚し、出産。
幸せな時間が抹消された様に私は記入していました。
人生の恨み節ばかりを順番に書いていたのです。

診察結果は『うつ病』

その後、医師の診察結果はうつ病。
予想はしていたので、特に驚きはありませんでした。
『うつ病はね心をガラスに例えて考えて欲しい。治療の薬は接着剤みたいなもので、割れてしまって応急的に接着する事は出来るけど、また刺激があると割れやすいから。1度割れたガラスは綺麗に完全には修復できないからね。優しく扱わなくてはいけないんです。セクキャバと言うお仕事をされていたようですが、働く前から心にはひび割れがあったと思いますよ。心は段階的にひびが入っていくものですからね。』
やはり心が壊れていました。
というか、割れてたのです。
『ひとまず眠れるお薬と心を休めるお薬出しますね。』
診察が終わって2種類の薬を受け取りました。
睡眠薬は飲んでから5分で寝てしまうものという薬で、もう1つの心が休めると言う薬は頓服薬でとても心が苦しい時に飲む薬。
本当にこんなのでマシになるのかな?というのが正直な感想です。
しかしその時の私には2つの薬にしか頼るものがありません。
きっとまたあれこれと思い出したり、セクキャバで働いていた私を無かった事にされるような主人の振る舞いに発狂してしまう恐れがあるので、少し薬に頼ってみよう。
そんな気持ちでした。
その日の夜は薬を飲んだので、ぐっすり寝れました。
次の日からもどうしようもなく悲しい時は頓服を飲み、心のバランスを保つように自分なりに頑張る生活。
うつ病とはいえ家事はしなきゃならないですし、下の子は幼稚園の送迎もあります。
そして主人には診断結果がうつ病という事を伝えても、主人の仕事量は変わりません。
結局薬がなければ穏やかな時間を過ごす事が出来ない。
このまま一生薬を飲んでいくと考えると、私はどうしても抵抗がありました。
そもそもこの病気になったのは私の責任ではないのにと・・・。
薬を1度飲み始めると手放せない状態にまでなっていました。
飲んでいない時の自分は人が変わったかの様に攻撃的で自虐的。
薬を飲むことは周りの人の為であった事が大きいのです。
穏やかな気持ちで家事をし、主人を優しく仕事に送り出し、両親にも思いやりのある言葉をかける事ができます。
しかしそれは私の為じゃなく周りが暮らしやすい為なのです。

自分の為に

自分のためではなく、周りのためと気づいてしまい、持ってる薬を全部捨てました。
うやむやにしていた今までの気持ちや、本当は悲しくてどうしようもない事、その気持ちをごまかす必要は無い事に気がついたのです。
両親や義理の両親に雑に扱われた事も、薬を使って私が悲しくない様にと誤魔化すことをやめました。
セクキャバで嫁を働かせていた事は主人にとっては忘れたい出来事で、それを忘れられた事が私の喪失感の原因。
『忘れてほしくない。』
主人とゆっくりと時間を取り、しっかり説明することにしました。
徐々にですが薬を飲まずに自分の心を殺さない様に、心の状態に気を付けてあげる様に自分と付き合っていくようにしました。
薬を辞めた当初はまだまだ攻撃的で、主人や両親を責めたり、自虐行為に走ったりもしたのですが、その頻度が徐々に減りました。
セクキャバで働いていた事は結果的には家族の為になったのですが、その辞めた後の主人の私への対応が私にとって悲しいもので、私の心にとどめを刺したのです。
感謝をされたかった訳ではありません。
身を粉に削ってまで守りたかった家族が、私にはいるという事。
それくらい守りたい存在だったということを、主人には感じて欲しかったのです。
生きていく事は大変ですが、努力と我慢は全く違うという事がその時初めて分かりました。
我慢はしすぎたらいつか爆発します。
しかし努力は実ります。

若くして二児の母になった私は風俗の世界に飛び込む決断をしました。夜の世界の「光」と「影」を自身で経験しました。家族を守るため、風俗とともにがむしゃらに駆け抜けた6年間の濃密なコラムが皆様の元気に変わればと思い執筆活動を続けて行きますのでよろしくお願いします♪ Rie♡"

 
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