880万円...。
この数字からこの物語は始まります。
第1話はこちらからご覧ください。
息子のサイン
風俗業界には何度も言いますが、お母さんが沢山働いています。
短い時間で希望に近い報酬が受け取れるのは、子育てで時間の限られているお母さんにはありがたいのです。
子供が幼児や乳児でなくても、子供を監督し観察するというのは、親としての義務であり、省くことが出来ないのです。
と言うより、省いてはならない大切な仕事だと思っています。
他愛のない話をし、表情からその日子供に起こった出来事を出来るだけキャッチしなくてはなりません。
難しい事の様に聞こえますが、母親であれば段々出来るようになっていきます。
それが長男の一件で私がそれを出来ていなかったのだと、自分の事をどうしようもない母親だと思ってしまいました。
子供だけで留守番をすることが無いようにと、主人と交代制で外で仕事をしていましたし、私は本来主人が稼ぎ出さないといけない収入を稼ぎ、主人は夜に子供が心細くならない様にと、母親である私のかわりに、子供にしっかり寄り添ってくれていました。
家の立て直しの為には夫婦のコンビネーションでもう少し、という所まで来ていたのにです。
主人にその話をし、主人から長男に話をしてもらう事にしました。
勿論勝手に物を取ってきてしまった、盗んで来てしまった事についてですが、出来ればもっと深く心の状態を聞き出してほしいと、主人にお願いしました。
主人もショックだった様子で、私に任され子供を見ていたのに自分も父親として、子供の状態を把握していなかったと、しばらく落ち込んでいました。
私が夜に仕事をしていて、しかも内容がお酒を扱う風俗業なので全て子供にオープンに話す事は出来ませんし、私自身自覚症状はありませんが、こそこそとしていた部分があったかもしれません。
思い当たる事はあってもまだもう少しの期間はセクキャバで私が働き、夜に不在になる事を改善しようがありません。
私もどうすれば良いのか、本当に分かりませんでした。
長男は当時7歳。
そんな小さな子供が何かを耐える為に起こしたサインという事だけは、しっかり分かったのです。
息子の心を埋めるために
主人から長男に話をしてもらってから数日後に、わたしもそれとなく長男に話をしていきました。
「お父さんとお話した?」
「うん」
「あかんよ。欲しいなら、ちゃんとお母さんに言ってよ。」
「わかった。」
その事についての話題は私が苦しすぎたので、早くに切り上げました。
そんな話をした日も私は出勤しなくてはならず、本当に大丈夫なのかと不安でいっぱいです。
それでも日々を暮らしていくには主人に任せて働きに行かなくてはならないですし、心配だからといって、ずっと手を繋いで心を満たしてあげることが、時間的にも家計的にも無理でした。
家族に申し訳ない気持ちで溢れていて、本当に仕事にならなかったです。
その時何の為に働いてるんだろうと、自問自答ばかりしていました。
子供を食べさせる為、生かす為、生活を安定させるため、それが目的なはずだったのですが、体を大きくすることに集中しすぎて、物質的に豊かになる事に夢中になりすぎて、私は子供の心を育てることを疎かにしていたのではないのかと思いました。
かといって食べさせて人並みに物を買い与えたり、家族でのレジャーも子育ての一環でありことは間違いは無いはずで、私がセクキャバで仕事をしていないと、家のローン、食費、被服代、たちまち困る事になるのは目に見えています。
ここで主人と、本当にチームワークが大切になるんだと話をして、主人はより一層子供とべったりになってくれ、友達の事や学校の事、子供達が眠るまで子供に集中して関わってくれていました。
主人はその当時私だけでなく、子供のサポートもしてくれて感謝してもしきれません。
我慢強い息子
主人がある日長男の事を、
「やっぱりな、寂しいんやろうな。俺なりに頑張っているけど、お母さんの代わりではないから、けど、親が頑張っているのを分かっているから、我慢しているんやろうな。」
長男は本当に我慢強い子です。
私が夜に働きに行くのを私の前で寂しがった事は一度もありませんでしたし、私がセクキャバで忙しく、飲みすぎて翌日に動けない事があっても、
「いいよ。寝てていいよ。ここで賢くしてるから。」
いつも言ってくれてました。
私が居眠りをしてしまったら寄り添う様に横で遊んだり下の子とテレビを見たり、私を起こす時は下の子が泣いたり、おむつを替えないといけないタイミングだけでした。
セクキャバで働いてからはずっとそんな感じでしたし、働く前は金銭的に限界の時でしたので、大好きな果物も節約して買ってあげれなかった状態で、いつも何かを我慢させていました。
本当に酷い母親だなと思います。
そしてもう1つ私の夜に仕事をする事で、気が付かなかった事がありました。
1つの事件によって、明るみになりました。
初めてのわがまま事件
小学校に通う平日は大体長男は3時に帰宅しました。
私は夕方5時に準備をします。
そして6時には出発しなければ、遅刻してしまいます。
長男との平日の接触は2時間から3時間でした。
その間に出来るだけ宿題を見たり連絡帳を見たり、おやつを食べたりします。
考えてみれば長男との時間が少なすぎます。
ある日長男は普段と変わりなく学校に行き、私は下の子とゆっくりめの朝食を取り、掃除したり洗濯したり、段取り良く家事をこなしていました。
季節は冬で外は7度位の気温でした。
インターホンが鳴りました。
出てみると長男が通う学校の教頭先生に長男が連れられて玄関にいました。
「どないしたん?」
私は長男が具合が悪いのかと瞬時に思ったのですが、違いました。
「そこの公園でね1人で居る所を近所の方が学校に連絡をくださいました。僕が見に行ったら、寒そうにベンチに座っていましたんで。」
なにも変わらずに学校に行ったと思っていたのですが、行きたくなかったのか、途中の公園で、学校が終わるまでの時間つぶしをしようと思っていたのでしょう。
「朝は変わりなく登校したので、何も知りませんでした。申し訳ありませんでした。うちの子はこんな事は初めてでしょうか?」
私は恐る恐るきいたのですが、
「もちろんですよ。今回こんな事は、学校でも初めてです。学校に行こうって僕は言ったのですが、本人がどうしても行きたくないというので、お母さんに話を聞いて貰おうとも思いまして。」
教頭先生も困惑している様子でした。
その時の時間は12時でした。
7時半に自宅を出発して12時まで公園でなんて、信じられませんでした。
「先生がいややねん。僕の事だけいっつも怒ってくるねん。今日も僕だけ休み時間もプリントさせられるねん。やから行きたくないねん。」
何年かぶりに聞いた長男のわがままでした。
「お母さんは、お家で話を聞いておられますか?公園で隠れる程学校の先生が嫌って、何かあったのでしょうか?」
教頭先生に言われ、ドキッとしました。
正直自信がありませんでした。
「はい。聞いてはおりますが、先生が嫌だとか、そんな話はした事がなかったもので、知りませんでした。お手数おかけして、申し訳ございません。」
私は教頭先生に深々を頭をさげました。
「今日は休ませてあげてくださいね。僕も学校に帰って担任と話しますので。そして、余り叱らないであげて下さいね。」
そう言って、教頭先生は学校に帰って行きました。
やっぱり私が夜に家にいないしわ寄せが来たのでした。