エピソード

【36話】家族がバラバラに。父からの暴力と何もしてくれない母。

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この数字からこの物語は始まります。
第1話はこちらからご覧ください。

母へのカミングアウト

どうしてあの時、母親に打ち明けようと思ったのかは分かりませんでした。
母親なら母親だから、娘の私の気持ちを理解してくれるかもしれないと思ったのです。
絶対に驚く事は間違いありませんし、もしかしたら悲しませるかもしれません。
頻繁に母親と連絡を取り合っていたのが、私がセクキャバで働き出してからはこちらからは連絡をしないような状態でした。
もしかしたら連絡したことを喜んでくれるかもしれない、そんな色々な事を頭で巡らせていましたが、私が母親に打ち明けてしまったら、例え理由が夫婦の責任だったとしても、主人の責任と思われてしまうかもしれないと、そこが物凄く私にとってはネックでした。
この行き場の無いどうしようも無い気持ち、長男の問題も含めて精神的には限界に近い状態でしたし、もうすぐ債務整理の手数料も終わる頃だったので、我慢出来るかもしれない自分もいます。
電話を持ちながら母親に発信しようか凄く悩み、1時間ほど携帯を握りしめていました。
気持ちを分かってくれるだけでいい。
本当にそれだけが私の気持ちでした。
よく頑張ったねとかしっかり家族を守ろうとしたんやねとか、そんな言葉だけを私は期待したのかもしれません。
「お母さん。私な、実はな、夜に仕事してるねん。」
「はっ?二人子供らは???」
「大丈夫。パパが見てくれてるし…その時間は。」
「あんたが電話してくるときは、いっつもそんな大変な時だけやな。なんでそうなる前に連絡して来なかったんや。子供が可哀そうやろうが!!」
予想はしていましたが、期待していた優しい感じのお母さんではありませんでした。

頼れない人達

風俗業界で身を置く女の子達は、高額なおこずかい目的で働きにくる子以外は、頼れない身内や両親をかなりの確率で持っている、というのも特徴です。
親が離婚して金銭的に困窮している、親は何処にいるのか分からない。
再婚相手と暮らしているから頼れない頼りたくない。
両親揃っているが、どちらかがギャンブルやアルコールなどの依存症だったり、家出をしてきているなど、単純に両親や兄弟との不仲という場合もありますが…。
そんな理由を抱えている子がやはり多いのです。
現実的に頼っていけたり相談できる身内や、頼りに出来る身内にに恵まれていない女の子が本当に多い。
最終手段としての風俗業界で金銭的な問題だけでも1人で解決できるように、何とかしようという気持ちになってしまいます。
金銭的な問題であっても頼れたり相談出来る身内に恵まれていたら、お金を出す、出さないは別として色んな視点で知恵を出してくれたりもするのです。
そして身内に頼れない、困った事を何1つ相談出来ないという事は、頼り方を知らなかったり何かしら寂しかったり傷ついてる部分か背景にはあるので、風俗業界に身を置いてしまうと益々誰にも相談できずに、風俗業界の渦にどんどん巻きこまれて行くのです。
そして1人で頑張ってしまい、いわゆる可愛げの無い人間になっていきます。
身内から孤立して甘え方も忘れてしまうようになります。
私もそうでした。
風俗業界しか頼れなかった背景があるのに、その背景を見てもらえず責められると思うから、中々両親には言い出せません。
頼れませんでした。
そしてこうなってしまったのは私達夫婦の責任なのは分かっていたので、相談なんてしたところで仕方ないとも思っていたのです。
ただ、母親に気持ちだけでも分かって欲しかった。

父と母

私の母親は私が小学3年生の時に、家を出ていきました。
当時姉2人は学生。
父は会社をしており、娘3人の面倒を会社をしながら見るのは難しかったのか、母が出て行った後は、家政婦さんらしき人が何人か家に来たと思います。
物凄く不安でしたし母親が朝起きたら居なくなっていて、泣いて父に訴えた様に記憶しています。
その後母は祖母の家に身を寄せていたのですが、その時から家族がバラバラに・・・。
母が出て行ったのには、母の高校時代からの親友と父が浮気をしたことが、母の親友のリークがきっかけで発覚した事でした。
しかしそんな単純な浮気がきっかけだったのではなく、母親も長らく付き合っていた既婚者である男性がいるという事も、その母親の親友が私の父親にリークしたのでした。
そしてお互いを許し合えず、今思えば自分の事は棚にあげてお互いが酷い言い争いをしていたのです。
私は何も知らなかったので単純に母親が家に居て欲しい。
お父さんと仲良くしてほしい。
そう思っていました。
しかし家の中で最年少の私の話は聞き入れられないままです。
どっちに付くかというよりか、私は母親がいる祖母の家と自分の家である父の方を行ったり来たりする生活をしばらくしてました。
公立の小学校に通っていたので転校もしたく無くて、学校が終わると父の家に帰宅し、バスで祖母の家に、そんな生活が続きます。
そして早朝にまたバスに乗って父の家に行き、そこから学校に登校するという生活でした。
しかし調停が始まる。
裁判するとなるとお互いの情報が洩れたらこまるとの理由で、どちらかに決めなさいと父から言われます。
姉2人がいましたし、私は父が大好きでした。
母方の祖母も大好きでしたし、母だって私の目には可哀そうに映ります。
どちらかを選ぶなんてとてもじゃないけど出来ませんでした。
距離で言えば車で20分の距離。
自転車でも問題なく行ける距離です。
しかし小学3年生の私には遠く感じました。
結局小学校の担任の先生にバレてしまい、越境通学は許可できませんとの事で、父親の方で生活するようになりました。

可哀想な子

父親と姉2人、住み込みの家政婦さんとの生活が始まりました。
母親に会いたい気持ちがどんどん増していく日々。
しかし母親には会う事は許して貰えず、何回か自転車で家族に内緒で会いに行きました。
母親に会いに行くことが父親や姉に見つかった時は、酷く父親に殴られ次の日学校に行けなくなる程にまで顔が腫れ上がりました。
家から母親に電話するのを家政婦さんに見つかっても、父親に告げ口されていたので、それでも殴られます。
怖い思いをしていると、友達の家から電話を借りて母親に相談しても、母親は私を助けてもくれずに、自分で父親に話をしなさいと、取り合っては貰えませんでした。
友達と遊ぶと父や姉に嘘をついて母と会う。
小学生の私には負担でしかありませんでした。
そして、だんだんと母親と会うために色んな事を隠して、こそこそ行動するのにも疲れてきてました。
殴られるのを覚悟でわざわざ母親に会いにいくという、今思えば何も誰にも相談出来なくなったのはその頃からではないかなと思います。
友達や友達のお母さんにアリバイを手伝って貰う事も日常でした。
当時の友達も、母親に会うために私が必死にアリバイ工作するのを見て、不憫に思った事でしょう。
そして母親は出て行ったきりで、私が母親に会うために心すり減らし、殴られているのを知っていた友達やその家族は、母親は何をしているんだ?
父親は何で娘が母親に会うのを制限する?
そう思っていたに違いないと思います。
父の会社は近所でもそこそこ有名だったので、母が出て行った事はすぐ噂で広まり、近所で私はお母さんが出て行った可哀そうな子供。
そんな風になってしまい、近所の人たちは優しくしてくれましたが、「可哀そうな子供」そんなレッテルを貼られた様な気がして、何とも言い表せれないような敗北感に似た気持ちが小学生の私に芽生えました。

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