初めまして!(^^)
新人ライターのゆめみこです。
私は約3年と少し風俗業界でキャストとして働いてきました。
今は元No,1ホストの彼と夜を引退・結婚し、小学生の子供の母として専業主婦をしています。
私がライターのお仕事をしようと思ったきっかけは、私自身が現役の時に感じていた疑問や不安、この業界独特の悩みを少しでも私が力になって、今の現役嬢のみなさんの為になれたらっと思い、ライターのお仕事を選び始めました。
まず初めに自己紹介ということで、生まれてから現役を卒業するまでを書いていきます。
少し長くはなりますが、見てみてください。
わたしの生い立ち~出生~
1990年1月の下旬に私は予定より少し早く生まれ、この世に出てきました。
パパ・ママ・私の3人家族でしたが、パパには前妻の子供が2人。
パパは会社を経営していていわゆる「社長」でママは「生粋のお嬢様育ちの専業主婦」でした。
そんな両親に甘やかされて、苦労もせずスクスクと私は育ちます。
同時に3歳から音楽教室に通い、この頃からママとママの母(お婆ちゃん)の英才教育開始。
幼稚園も私立の裕福な家庭の子が行く幼稚園に通わされ、小学校は公立に進みましたが、中学受験の為に小学校3年生から塾に通い、算数・国語・英語、と学年が上がるにつれて理科・社会も習うようになっていました。
その他に、バスケットや日本舞踊、そろばん・・・。
なんだか今思い出したら凄い過酷な毎日を送っていたのを思い出します(汗)
私はなんだかんだ要領がよく、上手い具合になんなくこなしていて、自分で言うのもアレですが、頭は本当に良かったです(笑)
全国学力模試(小学生版)などでも全国20位以内には入っていました。
でもそんな生活にだんだん疲れてくる時期が、刻一刻と近づいている事を両親やお婆ちゃんや私本人も気づいていませんでした。
不信感と着せ替え人形
私はママの着せ替え人形でした。
幼少期からハイブランドで全身を着飾り、バーバリーの洋服は今でも実家に溢れています。
その他オーダーメイドのグッチのワンピースや、イギリスの毛皮で有名なお店にフルオーダーでコートを作ってもらったり。
とにかく私は「ママの可愛いお勉強の出来る着せ替え人形」だったのです。
でも私も「人間」。
高学年になって少しづつ、親への不信感が出てきました。
そしてその不信感は両親との溝になり深くなっていきます。
私はこの頃から反抗期が始まり両親・お婆ちゃんを人生で初めて裏切る行為をしました。
それは中学受験での出来事。
当然のように受験しましたが、全科目白紙で提出し受験には当たり前に落ちました。
もう私立の中学には行けなくなった私に、パパは知らないフリをしママは泣くばかりでお婆ちゃんは大激怒、講師は放心状態でした。
その頃には私に自我がハッキリ芽生えていて、怒られようが泣かれようが何故かとてもスッキリしていて、心の中では笑っていたんです。
人格が壊れていたのかもしれません。
そして普通の公立中学校に入学し、両親は私にもっと裏切られ・どん底に落ちていきます。
裏切り 〜非行〜
中学生になった私は小学生からの友達と遊びほけるようになりました。
勉強もしなくても出来ていたし、家には帰りたくない。
私は両親に会わないように次第に帰らなくなっていき、お金がなくなると家に帰り親にお金を貰いすぐいなくなる・・・。
きっと両親も「お金」さえ渡しておけば悪さはしないと思っていたのか、中学1年生の私に毎回少なくても3万円は渡していました。
その両親の行動がそもそもの間違えだっと知ったのは、私が捕まった時でした。
ガスパン・シンナー・大麻・シャブ。1発アウトのKOでした(笑)
だってお金があるから買えちゃうんです。
足りないからお金くれっと言えば、渡してくるのです。
両親はこっぴどく少年課の刑事に怒られていたのを今でも覚えています。
中学生にそんな大金を持たせる親がどこにいるんだ!っと、おじいちゃん刑事が怒鳴り声を上げていました。
「この人達はただのお金くれる人だから、別にそんな怒らなくていいよ。もうめんどくさいから早く終わらせて。」と笑いながら言ったのを覚えています。
鑑別所に行き、出てきても家には寄り付きませんでした。
1度だけパパに怒られた事があります。
シンナーがなくて家にあった家庭用ガスボンベを自室で吸ってラリっていたら、パパが上がってきて一言。
「お前、やめる気がないならもう家にはおけない。明日の朝までに、警察に突き出されるか・児相に行くかよく考えて決めろ。」
「へぇ~。自分の娘をそうやってできるんだな!できるなら今すぐやれよ!!てめぇらの体裁だけいつも気にしてて、何が親だよ(笑)お前らがこうさせたんだろ!!!ふざけんなやっ」
私は自室の家具・家電を壊して暴れ出て行きました。
そこからは少し両親は変わったようにも感じました。
私を受け入れようと、両親も距離や時間が必要だったのかもしれません。
私も薬物系の悪さはやめ、今度は「眠らない街」へと遊びに行くようになりました。
私15歳。クソガキです。
そしてとうとう中学を卒業し、頭だけは良かった私は両親の顔に泥が付かないよう高校に進学しました。
喧嘩っぱやい私は教師や同級生との喧嘩、暴行事件、無期停学など。
結局高校を退学し家出をしました。
しばらくは両親からも連絡は無く、きっと私は1人娘であって1人っ子なのにこんなにグレてしまい、パパの会社のイメージも私が壊していたので、いなくなってくれたらいいと、両親は思っていたはずです。
その時の私は17歳になったばかり。
その街で私がどれだけ無力で、クソガキなのかを思い知ることになります。
ある日私はその街で、行方不明者になりました。
ヤクザの人に連れ去られました。
携帯を捨てられ、色々な人に犯され、もうどうでもよくなっていた時に、警察に保護されて生還。
これにはパパが連れ去った組の直系の上の幹部の方に友達がいて、私が見つかり保護されました。
でも処女ではなかったし、どこかどこが冷めているか分らないけど私は泣きもせず、女性の刑事さんに淡々とあったことをこと細かく話ていました。
もちろんママは大泣き。
でも何故あなたが泣くの?っと不信感しかなかったのをハッキリ覚えています。
それから1ヶ月は実家にいました。
でもまた私はあの街へ。
やっと見つけた自分の居場所を、そう簡単には手放したくなかったんです。
パパから電話がきて「マンションを借りてやるから好きなマンション選んで契約書を持って1度帰ってこい」という電話でした。
私はすぐに友達とマンションを見に行き決めましたが、まだ17歳なので契約はできません。
いい物件にしか目が向かず、働いている人でも借りれないようなマンションを選び、パパにどうにかしてくれと頼みました。
実家に帰り、不動産屋がパパの会社名義で法人契約として借りて、書類上住むのはママにして私を同居人にし、契約できることに。
ママと一緒にお金を持って契約しに行き、鍵を貰ったその足でママと家具・家電を買いに行きその日から、「眠らない街」の住人になりました。
夜の世界へ~水商売~
私はまだ17歳。
働いたことなどなく、ずっと親のお金で生きてきました。
水商売を始めたのも18歳から。
遊び半分で友達の付添い程度に働くくらいで、でも楽しい事もあり一時期はNo.1だったこともあります。
でも飽き性な私は何をしても続かなくて、いつも親の置いていくお金を握りしめて遊び歩いていました。
もう何かが壊れていた私は「お前って感情がよく分らない人間」とか「多重人格」と、友達や彼氏、お客様に言われていました。
そんな私に宝物ができたのも18歳の時でした。
続く...。
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