エピソード

【42話】母親はただ居場所が欲しかっただけ

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この数字からこの物語は始まります。
第1話はこちらからご覧ください。

得られない理解

母親に打ち明けた時の通話時間は1時間程だったと思います。
とても長く「母親として」の話をされたのです。
しかしそれは私も分かっている事。
離れて暮らしているのだから電話を切ってもよかったのに、それも出来ませんでした。
母親との会話で子供に恥をかかせるのか」そういう事も言われたのですが、その話も私の気持ちは理解されぬままとなりました。
風俗業界で働き始めたのは生活をする為。
それが段々子供の生活水準を少しでも同級生と同じ様に、という気持ちになって来ていました。
しかしそれは子供に恥をかかせない私なりの、唯一の方法だったのです。
子供の世界は残酷でゲーム機を持って居ないだけで仲間外れにされますし、子供同士で流行しているスニーカーを履いていないと休み時間のサッカーにも入れてもらえません。
私なりに子供が劣等感を抱かない為に、恥をかかせない為と考えていた事だったのですが、母は私のしている仕事を恥だと、子供に恥をかかせると言い、全く母親とは理解し合う事は出来ませんでした。
母にしてみれば友達と同じ様にする事が、とてもくだらなく感じたのでしょうが、私を9歳で捨てていますし、その時点で子育てをしていないので最近の子育ての話をしても、母には理解出来なかったのでしょう。
母親に打ち明けた事をとても後悔しました。
そして私の気持ちなど誰にも理解されないとも思いました。
私がみて来た風俗業界で働くお母さん達は、恐らくそれぞれの色んな思いがあって、一肌脱いでなんとか子供と生きて行こうとしているのですが、どんどん色々な誘惑や人の思惑で最初の気持ちを忘れてくる人が大半です。
私もその1人でしたし目標がずれてくるのも仕方の無い事。
その状況や気持ちの変化はその業界にいる人しか分からないのです。
走り続けないと生きていけないと思い頑張ってきて、状況が改善されいつ風俗業界を辞めても大丈夫になっても、走っていないとまた生きていけなくなるかもしれないという、そんな不安の中にいる事になります。
たまにそんな気持に打ち勝つ意志の強い女の子はいましたが、とても稀なケースなのです。
私にとって子供を育てていけないかもしれない。
ご飯を食べさせられないかもしれない。
またプレゼントを買えなくなるかもしれない。
そんな事が頭をよぎると怖くなり、どうしても生活を維持していく事を優先したかったのです。
母親としての正解は人それぞれなのですが、簡単に言えば私の思う母親としての正解は、私の母親とは違ったので、私の気持ちは分かって貰う事は出来なかったという事です。
それも仕方なかったのかもしれません。
小さい時から母親とは離れていたので、私の思う母親は私の理想でしか無かったのですから…。

母という生き物

私の母は父が興信所で調べ尽くしたので、間違いなく他に男性が居たのですが、恐らく母も辛い人生だったのには違いありませんでした。
それは母親が生まれてから、ずっと辛い状況が続いてるという事もあります。
私の母親は私生児として生まれています。
私生児とは婚姻関係に無い間の男女に生まれる子供で、要は愛人の子供だったのです。
私がそれを知るのは大きくなってからでしたが、母方のおじいちゃんおばあちゃんは私にとっては大好きな存在。
しかしおじいちゃんとは祖母が後に結婚した相手であって、血のつながりはなかったのです。
母の本当の父親は母が小さい頃に亡くなっていたらしく、恐らく養育費のような物も祖母は貰う事ができないまま、私の母を育てたのでしょう。
当時の一般家庭より貧しい生活をしていたはずで、祖母は母を育てる為に働いていたので母も寂しい幼少期を過ごしてきたはずでした。
そんなまともに養育されていない母が父親像も知らないまま、温かいお母さんというものも知らないまま、私の父と結婚したのでまともに結婚生活が営めるかというと、絶対に無理な話でした。
しかし愛されるという事に飢えていた私の母は、私の父に捨てられないかというヒヤヒヤした気持ちで一緒に居た為に、父の自由な行動を何でも許す。
私の異母姉妹が生まれた事も引き取るようになった事も許してまで、父との婚姻関係を継続したかったのだと思います。
私の母は父の為には何でもしてきたのでしょう。
父の会社の為なら頭を下げて回り、会社の為の借金のお願いも銀行には母が行き、父の女性関係の後始末もやってきたのです。
しかしそれは私達子供の為ではなく、母自身が生きて行く為にした事。
普通の感覚なら子供を育てている真っ只中に、旦那と愛人との子供を引き取って、育てようとは到底思えません。
自分の子供と旦那が愛人に産ませた子供を、健全な精神状態で同時に本当の姉妹の様に育てる事は、現代では無理に決まっています。
そんな事ばかりで母は疲れてしまって外に男性を作ってしまい、そんな関係を持ってしまったのかと思います。
そこまで父を愛していたと言えば聞こえは良いですが、そうではなく母は生きる場所を必死に確保しようとしていたんだと思います。
母の生き方は間違いなく祖母から受け継いだもの。
祖母の生き方が母に悪影響を及ぼしていました。
それ程親は子供に影響を与え、結婚して新しい自分になって人生やり直すつもりでも、染みついた考え方や見て来た親の生きた方が、後に自分の産んだ子供を苦しめていくのです。
なので100%私を捨てた母親が悪いとは思わないですが、母親の考え方にどうしても納得したくない自分が居ました。
潜在的に、
お母さんの言った通りにしたら、私もお母さんみたいになってしまう。」
それが怖かったのです。
私は母の様に子供を見放す事はしない。
自分の居場所が居心地が悪くても子供の為なら我慢できる。
子供を傷つけるものは許さない。
子供を出産してからわたしは常に思っていました。
母親が私に風俗業界で働くなら逃げて来なさいと言った事も、私にとっては絶対に出来ない事なのです。
小学校低学年の長男を見てこんなに可愛い盛りの子供を、母はどうして置いて逃げたのか。
母に置いて行かれた当時の時より、私の息子が母に捨てられた私の年齢と重なった時、何処かで私は母親として母親に勝ったと思ってしまうようになりました。

幼稚園の入園準備

そんな頃季節は秋。
年が明けてからの下の子供の幼稚園の入園の準備をしなくてはならない時期になりました。
やはり私には近所のママ友がいないままで、ママ友との雑談のなかで幼稚園の情報を得る事はできません。
長男が卒園した幼稚園という選択肢もありましたが、本当に大変すぎて私が夜に不在になった事で可哀そうな長男しか思い出せず、またもしかしたら風俗業界を辞める事になるかもしれないという希望に近い思いもあり、少し遠くてもいいから優しさの溢れる幼稚園がいいと思っていました。
決めた幼稚園というのが私も数回主人も何度か訪れた事のある、カトリック教会の横にあるカトリック系の幼稚園でした。
そこのカトリック教会は関西ではまだ大きい方で結婚式やお葬式なども執り行う綺麗な教会。
横に隣接するように幼稚園があり、神父様が園長先生でシスターが先生という、そこで働く先生方以外の皆さんもカトリックの信者という、カトリックの教えをしっかり信念として植え付けてくれそうな幼稚園でした。
長男の時の幼稚園選びはまず家から車ですぐとか、費用がどれくらいかかるとか、そんな事ばかりに重点を置いていて、キリスト教系ではありましたがプロテスタントの教えの幼稚園でした。
先生方も普段はジャージで割と元気な幼稚園でしたが、その明るさや元気さに当時切羽詰まった生活をしていた私は、気持ち的に付いて行く事が出来なかった記憶しかなく、下の子の入園はその幼稚園は避けるようにしたいと思っていました。

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若くして二児の母になった私は風俗の世界に飛び込む決断をしました。夜の世界の「光」と「影」を自身で経験しました。家族を守るため、風俗とともにがむしゃらに駆け抜けた6年間の濃密なコラムが皆様の元気に変わればと思い執筆活動を続けて行きますのでよろしくお願いします♪ Rie♡"

 
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