【デビューは6/25イベント!新規ライター紹介】風俗エステ講師あす香先生推薦!まり珍先生




こんにちは、mari珍(まりちん)です。

風俗業界の経歴としては、プレイヤーとして10年ほど、妊娠出産を機に一度プレイヤーを引退してからは主に講師・コーチ業で3年ほど関わらせて頂いており、今年で13年目になります。

一記事目という事ですので、まずは自己紹介をさせて頂きます。

まずは、表向きのmari珍プロフィールをご紹介

一人遊びが得意で、絵ばかり描いている子どもでした。

小学校に上がってからは自分の絵でお仕事を頂くことを覚え、CMのコンテや広告の挿絵を描いて小遣い稼ぎをしていました。

当時はあまり自覚していませんでしたが、思えばこの頃から「個人事業」というスタイルを自分に取り入れていました。

高校生になってすぐにバイトを始めましたが、絵もずっと描き続けていました。

この頃には依頼がもらって絵を描くというよりは、自分の描いたものに値段をつけて頂ける状態でした。

自分の力、アート的なセンスや能力でお金を稼ぐことが楽しかったので、高校卒業後は美容師を目指しました。

そして美容の専門学校はトップの成績で卒業。

わりと短い期間でアシスタントからスタイリストになったのですが、私が美容師になった目的はキレイな美容室でキレイなものに囲ませて過ごすというよりは、健康上の都合などでなかなか美容室に足を運べない方のために施設などへの訪問美容師をするためだったので、スタイリストに昇格後は早々とお店を辞めました。

我ながらなかなか美しい経歴だなーと思います。

が!

これはあくまで表向きの経歴で、他人から見て理解しがたい要素を外したものです(笑)

裏側は、ウツに振り回されていた

昔から、神経質なコドモでした。
夜眠るのが下手で、母も手を焼いたと思います。

小学生になったころ、歳の離れた私の姉と付き合っていた男性がストーカー化し、姉はそこから随分と長い間重度のウツを患います。

ストーカーは昼夜問わず玄関の鉄扉を叩き、ときにはむりやり扉を開けて叫び声とともに土足で上り込んでくることもありました。

幼かった私は精神面でのダメージやストレスを自覚できずにいましたが、不眠や軽いパニック発作になって現れるようになりました。

高校入学の直後、学校からの帰り道、本当に自宅まであと少し、何なら自宅の目の前で、強姦に遭いました。

その時に初めて大きな過呼吸を起こし、以降コントロール感の無いパニック発作や、自覚症状として現れたウツなどの症状に振り回される日々が始まりました。

 

人生の半分以上の時間を「死にたい」と思い続けた

大きな過呼吸を起こした後、私はあっという間にウツの波にのまれました。

自分の中が汚れていると感じ、腕を切り、喉に指を入れて血と胃酸を吐きました。

158㎝の身長で30㎏台になり、生理は止まりました。

電車に乗れなくなり、高校へは行けなくなり、バイトの時間以外は朝も夜も家で絵を描き続けました。

美容室に就職したものの、朝決まった時間に起きて閉店まで仕事をすることは、当時の私にとってとても苦痛でした。

毎日毎日鏡越しにお客さん見て笑いながら会話を楽しむふりをするのですが、内心いつ過呼吸が抑えられなくなるのかという不安と自傷への衝動を抑えるのに精一杯で、生きた心地がしませんでした。

そんな中、成人したかしないかの頃、私は風俗業界に足を踏み入れることとなります。

そこから10年以上私は様々な自傷行為と過食嘔吐を繰り返し、ときに拒食でガリガリに痩せ細り、何度も自殺を図っては入院し、性風俗業界と共存しながらなんとか生きてきました。

mari珍さんの「今」

私は今、3歳の息子と夫と暮らしています。
結婚は二回目で、今の夫は最後のお店のお客様でした。

もう死にたいと思う事はありません。

好奇心が旺盛で仕事は色々としていますが、この業界ではコーチとコンサル業と時々講師をさせて頂いております。

私の体験、感じたこと考えたことが誰かの役に立つのなら、私はとてもうれしく思います。

これからどうぞ、よろしくお願いいたします。

mari珍

幼少期からウツで変態ホイホイ。自傷行為で入った風俗業界のはずが、うっかりNo.1に。妊娠を機に一度は引退するも、業界好き過ぎて産後に講師として復帰。数ヵ月技術を教える立場になってみたが、「これテクニックだけ持ってても活かせへんわ。むしろ心の状態が整ったらテクなくてもいけんじゃね?」と気付いて方向転換。現在は夫やっちゃんと息子こっちゃんと平和に暮らしながら、東京と神戸でゆるふわコーチ業。こだわりの強いピュアソウル。似てる芸能人はふなっしー。