エピソード

【4話】ある決意をしたどうしても忘れられない日

  • 閲覧数:5

880万円…。
この数字から私の風俗の物語は始まります。
第1話はこちらからご覧ください。

ある決意をしたどうしても忘れられない日

ある日、主人がどうしても子供の面倒が見れない時がありました。
家庭の事情、自分の経歴、家族構成など私はキャスト含め店舗関係の人間には誰一人と、話した事はありませんでした。
働くに辺り、履歴書なんかも必要はなかったですし。
多分どこかのOLと、思われていたでしょう。
結婚してるとか、子供がいる事、完全に封印してきました。
お客様より、スタッフ、キャストの女の子に対して、必要以上に警戒していました。
いつか、元通りの生活に戻った時に、その時間を抹消しなければいけないと思っていたからです。
プライベートの真実を喋ることは、絶対にしてはいけないと、肝に銘じてましたし、出来るだけ、スタッフ、キャストとは話さず、お客様とだけ、明るく会話する事に集中していました。
その時の集中力は、後になって素晴らしいなと、自分で思うほどです。
ある日、主人がどうしても外せない用事があり、子供をその時間どうするか?と凄く困った事がありました。
店には子供がいる事も言ってなかったですし、事情を話したところで、わかってもらえるはずもない。
一時預かりの託児所を仕方なく申し込むという方向で、段取りしていきました。
沢山の託児所があるのですが、出来るだけ、歓楽街から離れた場所で、迎えに行くまでに、母親に戻れる時間を稼げるようにと、店から託児所まで、タクシーの距離位と考えました。
出勤前に子供たちを送っていくと、案の定泣き叫びます。
知らない場所で、しかも子供が不安になる夜から真夜中にかけて託児所でお留守番なんですから。30分位、宥めて、
『お母さんどうしても、仕事に行かなきゃならないからね。ごめんね。』
一生懸命に謝りました。
この時、今まで以上に初めてその仕事をしている自分を、責めました。
家族が生きるため、借金からの脱出のため、主人を含めた大切な家族を守る為とはいえ、子供に親の事情で無理をさせなければいけない事に、胸が締め付けられました。
一日も早く脱出しよう。
タクシーの中で、決心しました。
そして子供が、物心つくまでには、普通の暮らしを手に入れようと。
こう言った歓楽街ともなれば店の近くでも沢山の託児所はあります。
タクシーで店に向かう途中、他の託児所の前を何軒も通りました。
歓楽街界隈の託児所は、いつも夜が大盛況で、外まで賑わってました。
ベビーカーを押しながら沢山のお母さんが出勤前に子供、赤ちゃんを預けに託児所に入っていきます。
その光景は、今までも見てきたはずなのに、実際我が子を預けた時、お母さん方が、逞しく見え、切なさや、尊敬の気持ちが入り混じりました。
託児所というものは夜の世界で働くお母さんにとって、無くてはならない存在だけど、子供たちにとっては、お母さんを待つ、頑張らないといけない場所なんだろうと思いました。
風俗や、夜の世界で働く事を選ぶ事情はそれぞれだと思うのですが、親がその仕事を選んだら、自動的に子供たちにしわ寄せがきている。
それでも働くのは、生きるためで、子供を育てるためなんだと、その世界の、生き辛さや、子供を持ちながら、働く事のリスキーさを、痛感した夜になりました。

風俗で働き始めて1年が経過した頃

私は疲れからか体調を崩してしまい、眩暈が止まらなくなりました。
寝ていても頭の中はメリーゴーランド状態で、吐き気発熱に加え酷い耳鳴りです。
安静にしていても、一向に改善されません。
それでも店には出勤しないといけないですし、日中は普段通りの家事をしないといけなくて、何とか治まりたいけど、その時は、主人の社会保健が切れていて病院に行けない事態でした。
子供には、少し猶予があり、主人と私には、保険がありませんでした。
役所に電話しても、未納分の支払いをしないと、国民健康保険は発行できないと言われ、20万近い金額を請求されました。
その時点でお給料まであと、一週間くらいだったと思います。
私が倒れてしまえば、何もかも駄目になってしまう。
お給料が入ったら、とにかく国民健康保険を先に払って病院に行こうと、その月に、久しぶりに病院にかかることができました。
この頃の私にとって普段みなさんが何気無く通っている病院は贅沢品そのものでした。
内科に行けば、原因不明といわれ、耳鳴り、眩暈なら耳鼻科に行ってくださいと言われ、耳鼻科を受診しました結果、病名は突発性難聴でした。
ストレスや過労からくるもので、入院が必要と言われましたが、店に出勤しないといけないですし、支払いがあるので、ある程度の収入は確保しなければならずもちろん自分の入院にお金を回している余裕なんて一切ありません。
『点滴と、薬の服用で、おねがいします』
主人にも言うことが出来ませんでした。
言った所で、どうすることも出来ないだろうし、責任を感じて元気がなくなるだけなら、子供にも悪影響と思いました。
ギリギリの所で生きるのは辛いという、当たり前の事をそこで勉強しました。
その病気がきっかけで、毎月の支払いだけで、ホッとしていてはいけないと焦り始め、借金としっかり向き合っていかなければならないと、思い始めました。
いくら毎月の借金の支払いを滞りなくできても、利息ばかりで、元金はそのままという事、70万程私が稼いでも、50万は支払いをする生活なら、その生活から抜け出せないという事、しかし、セクキャバで仕事していないと、家族が食べていけないという事もわかってました。

一縷の望みを託し法律事務所に相談へ

主人としっかり話して、何とかしないといけないと、思っていた矢先に、ネットの宣伝広告で、法律事務所の「自己破産」という文字が目に飛び込んできたのです。
それだけは避けたいと思っていたのですが方法としては『個人再生』『債務整理』という道もあったのです。
具体的には自宅を失わず、借金を極限まで減額してもらう方法です。
法律事務所が間に入っての仕事になりますので、ある程度の手数料はかかりますが、これならいけるかもしれないと、その日に主人に話をしました。
自己破産で免責になれば、借金は0になりますが、その時に持っている、資産まで、すべてをなくす事になります。
住む場所がなくなってしまえば、子供を育てる場所がないということですから、それは考える事が出来ませんでした。
主人と夜中に話をしました。『もしかしたら、この方法で、何とかならないかな?』
主人がその翌日、法律事務所に電話をしてくれ、私が店に出勤の間、法律事務所に子供を連れながら、相談に行ってくれました。
その日は店で接客中も、主人の事が気になり、どうなるんだろうと期待と不安でソワソワしていました。
主人を普通のお父さんにしてあげたい。
子供と夜ご飯の時間も一緒に過ごしたい。一緒にお風呂に入りたい。寝かしつけを、私がしたい。
そんな願いが接客中も次々あふれてきました。
第5話につづく…。

若くして二児の母になった私は風俗の世界に飛び込む決断をしました。夜の世界の「光」と「影」を自身で経験しました。家族を守るため、風俗とともにがむしゃらに駆け抜けた6年間の濃密なコラムが皆様の元気に変わればと思い執筆活動を続けて行きますのでよろしくお願いします♪ Rie♡"

 
PAGE TOP