エピソード

【38話】摂食障害のきっかけと父親の暴力

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この数字からこの物語は始まります。
第1話はこちらからご覧ください。

摂食障害のきっかけ

通常の社会で暮らすより夜の世界では精神を患っている女の子が、比較的多いです。
それを理由に色んな保護費が申請できるため、精神疾患ではないのに精神疾患のふりをする人もいます。
しかし全身にリストカットの跡があったり、手に吐きダコがあったり、極端に痩せていたり、太っていたり。
そんな女の子が一般の会社にいる時とは比較にはならないくらい多く在籍しています。
これは風俗業界の特徴といえるのではないでしょうか。
セクキャバで働いている時、私は精神を患ってはいませんでしたが、過去に吐きダコが出来るくらいの過食嘔吐の摂食障害をでした。
有名人やタレントの告白で世間から知られる様にはなり、今では難病とまで言われていますが、当時は自覚症状が全くない精神疾患だったと思います。
中学生の2年の時、家政婦さんの作る食事を口にするのが嫌でしょうがなかったので友達と外飯をしていました。
外で食事をするので、好きなものしか食べないという日々。
小学生の頃よりどんどん体重は増え、家政婦さんにからかわれます。
姉にも、ヤバイと言われました。
これが食べることが嫌になった原因です。
「肥満体やわー。」「服は入れへん様になるよー。」
私が家で何かを食べようとすると、すぐにそんな事を言われました。
からかったようにに言われる事が嫌になり、全く食事を摂らなくなります。
中学生活はお弁当で上の姉が毎朝用意してくれていましたが、タンスに隠して食べたふりをし、一切の食事を摂らなくなりました。
みるみる体重は落ちていき、1ヶ月もしないうちに明らかにげっそりとした見た目に。
次に私の体系に異変を感じた父親に、食べろ食べろと言われる様になります。
その時は既に食べるという作業が、私にとっては恐ろしくて仕方の無い行為になっていました。
それでも父親からは家政婦さんと父親の前で食事をしている所を見せなさいと、言われ家政婦さんの用意した食事を食べなくてはいけない状態に。
姉2人は仕事があったので夕食の時間はいませんし、平日の夕食は家政婦さんと父親と私の3人でした。
しかも私を見張るように父と家政婦さんが私をずっと見ているんです。
家政婦さんの用意した食事を全部食べるまで、食事を終わらせてはくれませんでした。
友達と毎日好きな物を食べていた私の自由が無くなってしまったストレスも、どんどん溜まり限界になっていきます。

食べては吐く

ある日の食事の時、出された食事を全て胃袋に詰め込みました。
胃の中に異物が入ってきたような感覚になり、吐き気を我慢し入浴。
入浴後に吐き気が抑えられなくなり、着替える場所で嘔吐してしまいました。
偶然その場所にいた長女の姉が掃除してくれたのですが、申し訳ない気持ちと無理やり私に食事をさせた父親に怒りがこみ上げます。
しかし胃袋の中はすっきりしたのか、物凄く爽快でした。
その日から父親が私の食事をしている所を確認し終わったら、私は食べたものを全部吐くようになります。
食べても吐く、毎日毎日繰り返しました。
胃の中に食べ物がある事が私にとっては不快な事。
どんなに好きだったお菓子もすき焼きもパスタも、どんどん嫌いに・・・。
痩せていたら実際にすぐ彼氏もできましたし、太っていた頃よりももっとオシャレをして楽しむことを覚えました。
家に居るときは監視されている感覚で緊張感が半端なく、唯一友達といる時が私の自由。
毎日友達と遊ぶので持ってるお金が無くなり、父親の財布からお金を取り、そのお金で友達と遊びほうけるようになります。
自由の時間があったにも関わらず、私は食べては吐く生活を繰り返していました。
父親からしたら食事はしているのに、どんどん私は痩せていく。
財布の中のお金はなくなる。
頭を悩ませたことでしょう。
父の前で体重計に乗らないといけないという事が日課になってきました。
父親の前で体重計に乗らないといけない時は、2リットルのミネラルウオーターを全部飲んでから、体重計に乗ります。
もちろんそんな2リットルの水ではごまかしきれない体重しかなかったので、水はあまり役には立たなかったのですが、水を飲むことも繰り返しました。
体重を父の見ている前で測り終えるとトイレに行き、飲んだ水を全て吐き出す・・・。
今思えば自覚症状はなかったですが完全に精神疾患ですし、身も心も当時はボロボロだったのでしょう。
たまりかねた父が痩せた私を病院に連れて行くように1番上の姉に頼んだようで、ある日の夕方姉に病院に連れていかれました。
しかしその病院は何故か総合病院の内科です。
担当してくださった先生も分かるはずがありません。
専門外である、摂食障害が病名なのですから。
「ごはん食べれないの?」
「気持ち悪くて食べたくありません。」
「ダイエットは栄養バランス考えてしないとだめですよ。」
「わかりました。」
処方された薬はビタミン剤でした。
連れて行ってくれた姉も仕事を早退して病院に連れて行ってくれましたが、しっくりこない診察にイライラした様子です。
受診するのは内科ではなく、当時では余りメジャーではなかった心療内科だったのですから。
いわゆる精神科、心療内科に連れて行かれるのも私にとっては食べる為の治療なんて、食べたくないからしたく無い訳でしたし、治りたいなんてこれっぽっちも思っていなかったのです。

父からの暴力

「お父さん、ただいま..病院連れて行ってきたで。」
「どないやった?」
「バランスよく栄養とりなさいやって。」
「どこも悪くないのか?」
「そんなん分からん。」
「治るんか?」
「そんなんわからん。」
どうして姉にまかせたのでしょうか。
自分の子供なのに姉妹だから長女だからと、私を姉に任せたのでしょうか。
父は私の母親の代わりをどんどん長女の姉に任せていきました。
その後トイレで吐くのを強制的にやめさせようと、父と姉2人、家政婦さんは、私がトイレに入ろうとするとトイレの前で待ち構えていました。
トイレで吐く自由も奪われ、お風呂場で排水溝に吐くようになります。
入浴している時はさすがに、だれも邪魔をしてこないと思ったからです。
それも時間の問題で排水溝が詰まり酷く叱られ、殴る蹴るの暴行を受けました。
それでも殴られる事に慣れてきたので、15分程殴られるのを我慢すれば父の怒りは収まるだろうと。
痛かったのですが、抵抗せずに殴られていました。
私にとっては父からの暴力は日常だったので、特別恐ろしい体験とも当時は思わなかったのです。
当時家の中では私以外は全てが大人でした。
会社の従業員の人たちも勿論全員が大人です。
父の会社は自宅の1階部分にあったので、私は会社の従業員の人達にも毎日会います。
自宅部分である上の階で私が父に殴られたり、蹴られたり。
ドタンバタンと音が聞こえそうなものですが、家族を含め家政婦さんも会社の従業員も誰も助けてはくれません。
顔が腫れ上がって、泣き腫らした顔を見せることにもどんどん慣れていきました。

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若くして二児の母になった私は風俗の世界に飛び込む決断をしました。夜の世界の「光」と「影」を自身で経験しました。家族を守るため、風俗とともにがむしゃらに駆け抜けた6年間の濃密なコラムが皆様の元気に変わればと思い執筆活動を続けて行きますのでよろしくお願いします♪ Rie♡"

 
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