エピソード

【46話】義母との確執。同僚の幸せ。

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880万円...。
この数字からこの物語は始まります。
第1話はこちらからご覧ください。

子離れ出来ない親

そもそも主人の両親との距離が出来た理由とは色んな事が積み重なってなのですが、その中でも大きな溝が出来た一件がありました。
私達が切羽詰まっていた債務整理の決断をする少し前。
義母の姉が立て続けに亡くなりました。
義母には姉が2人いて、主人からすれば叔母さんに当たります。
最初に義母の1番上の姉が亡くなりました。
その時は事後報告で亡くなってから1月後に聞いたのですがその後すぐに、上の姉が亡くなったのです。
私はその頃セクキャバで働き始めて間もない頃で、まだまだお給料の搾取やら迷惑料やら罰金がある頃。
ピリピリした空気の中で働いていました。
義母から、出勤前に私の携帯に電話が。
「もしもし?おばさんが亡くなったから今すぐ飛行機で来て!早く連絡して家族で来て!」
主人はアルバイトでしたが義母は主人がサラリーマンと思っていましたし、仕事中電話しにくいとでも思ったのでしょう。
そして私に頼めば主人はすぐに飛行機で義母の所に飛んで行くと思ったのかもしれません。
義母と義父と主人の妹と姪っ子たちは飛んで行ったようなのですが、私達は事情が事情なので、すぐ行くことは出来ませんでした。
近所や車で2時間そこらなら行くことは可能でしたが、距離の問題もあります。
飛行機に2時間乗り、そこから車で2時間の場所です。
当時は生活がかかっていましたし、罰金やら迷惑料ととられるターゲットになると、それこそ一家が食べていく事が出来ない状態。
一応主人に連絡したのですが、
「今は無理やろう。行けないな。行けば3日は帰ってこれないしな。オカンには俺が連絡するわ。」
「わかった。お願いね。」
主人とそう会話をして電話を切った後しばらくしてから、義母から私に再度電話があったのです。
「あんたが嫌やて言うたんやろ!どういう事や。あの子は小さい頃世話になって、よくしてもらったのに!あんたが行きたい言うたら、うちの子はすぐ来てくれるのに!』
そう言われて電話を切られてしまったのです。
電話で怒鳴られた時はとても悲しい気持ちだったのですが、段々とこれはおかしいなと思うようになりました。
案の定主人からの電話では忙しいなら仕方ないと、行けない事を快諾していたのです。
「私にはめちゃくちゃ怒ってたで。快諾したなんてまさかやわ。」
その日はいつもと変わらず主人と交代で、私はセクキャバに出勤。
接客中もとてもモヤモヤしていましたし、余りに一方的に怒鳴ってきた義母に怒りさえこみ上げてきました。
私に怒るんじゃなくて主人に直接言えばいい事を、全部私に言って来た事も変ですし、私は一度も会ったことが無く主人も20年以上疎遠になっていた叔母さんの通夜、葬式に何で家族が総出で行かない事に怒るのだろうとも・・・。
義母の事を可愛がっていた叔母さんが亡くなったのは悲しい事ですが、義母悲しみと同じ気持ちで主人や私にも居て欲しいという強引さが、とても私には嫌な押し付けに感じました。
祖母や祖父が亡くなったらそこまで言われても仕方ないものの、3親等になるうえ数十年会った事のない人のお葬式に行けない事がそこまで言われる事なのかと本当に腹が立ちました。
主人が小さい頃、裕福な家庭で無かった為、その叔母さんが田舎に呼んでくれて過ごさせてくれたとか、そんな話は聞いてましたが私達が結婚した時、義母は親戚誰1人にも言わず、お祝いすらされた事の無い人の、義母が言う「世話になったくせに」その言葉がとても納得出来るものではありません。
裕福でない義母と義父が世話になっていたのを、同じ気持ちでいてくれと言うのはまさに子離れ出来ていない親そのものでした。
それからというもの薄情な息子、薄情な嫁。
そんな風に思われていたと思います。
それでもそんな事に感情を揺さぶられては私達は生活が出来ないので、無かった事の様に生活をします。
義両親が遊びに来るときは必ずと言っていい程、その時に葬式に行かなかったことを持ち出して言われました。
そして、主人に向かって必ず言うのが、「嫁さん働いてもらいや~。あんたばっかりが、しんどいおもいしてるやろ~。」とまあ、こんな感じ。
セクキャバで家族が食い繋いでいるのも知らないので、そう思っても仕方ないのかもしれませんが、いつも私が疎外されている様な感じがしましたし、義母の暴言の暴走を誰も止めてくれない事に苛立ちを抱いていました。
主人がより大きな社会で活躍できる仕事をさせてあげたいとか、子供達に対して頑張っている父親の背中を見せれる様させてあげたい、と私が日々願って頑張っているのに無神経なんだなと、努力してまで仲良くする必要はないのだと思うようになりました。

生活水準の差

債務整理の手数料がほぼ終わりかけていたその頃。
セクキャバの収入がそこそこあったので、私が夜に不在という事以外では普通に生活出来ていました。
なので幼稚園の入園手続きもスムーズに出来ていたのですが、それに関しても義母は「幼稚園なんか贅沢や!保育園に入れてうちの息子を助けるのが普通やから!」そう言ってきたのです。
主人の妹は義両親の隣に住んでいたのですが、2回結婚に失敗し3人のシングルマザー。
1番上だけが1回目の夫の子供。
下2人は2回目の夫の子です。
どちらの夫も上手くいかずに別れたのですが、色んな申請をし国の援助もしてもらいながら片手間で週に3日働き暮らしています。
その1番目の長女が思春期に差し掛かった頃精神疾患を発症し自殺未遂。
入退院を繰り返していました。
これも間違いなく子供の感情を無視して、結婚離婚を繰り返した義妹の責任です。
しかしそれが義母にしてみれば、義妹が可哀そうに映ったのか私と比べては、私は何の苦労もしてない嫁、となる訳でした。
幼稚園の反対を押し出され勢いよく喋ってくる義母に、主人が堪らず「お母さん、もういいやんか。幼稚園行かせるねんから、もう決めてる。行かせるのは俺らやから。お母さんが苦労するわけちゃうやん。」そう言ってくれました。

同僚の結婚

セクキャバで唯一何でも会話した同僚の彼女が、嬉しそうに私に話をしてきました。
その日は私もお昼間に幼稚園の制服が届いて、とても穏やかな気持ちでした。
「私。結婚することになってん。来月。」
「うそ!びっくりした~。」
「最近プロポーズされてな、その人となら私、専業主婦になれるねん。」
「どんな人?何歳?」
「実はお客さんやねん。やから、見た事あると思う。」
とてもびっくりしました。
まさか、そんな事が彼女に起こってるとは全く知らず、ただとても幸せそうにしている彼女に、私まで幸せな気持ちになっていました。
しかし店を辞めるとなると、彼女は売り上げを割と握っていたので、どうなるのかなという気持ちもありました。
辞めるに当たって向こう数か月分の売上を払えまでとは、さすがにもう言われないにしても、1ヶ月の売上が数百万ある彼女は店に何て言うのか。
まして相手がお客さんなら別のキャストにお客さんを引き継ぐ事も出来ないはずなので、どうなるのかと、不安がよぎりました。

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若くして二児の母になった私は風俗の世界に飛び込む決断をしました。夜の世界の「光」と「影」を自身で経験しました。家族を守るため、風俗とともにがむしゃらに駆け抜けた6年間の濃密なコラムが皆様の元気に変わればと思い執筆活動を続けて行きますのでよろしくお願いします♪ Rie♡"

 
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